「中野北溟の世界」に思いを寄せて



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「大いなるもの」に心が触れ、言葉が止まりました。
文字が映像に変わり、紙面から溢れる創造のエネルギーが、心を揺さぶりました。
まだ学生だった18歳の頃、中野先生の門を叩き、書のご指導を受けましたが、
あまりにも幼稚で稚拙な私には、「表現する」ことの意味が理解できず、
ただ目の前にある文章を格好良く書くことに専念していたように思います。
「墨に百彩あり」
この言葉に出会った時、奥深い書の世界を理解するには、
百彩の勉強をすると良いのでは?浅はかな私は単純にそう考え、色彩の勉強を始めたのです。
ところが皮肉なことに、年々色彩の仕事が広がり、その忙しさから
両立を諦め、7年前に書活動の方を休止してしまいました。
完全に休止する前は、何となくどちらも調子を合わせていましたが、
始めたばかりの色彩の仕事が楽しくなっていた私は展覧会などへの出品意欲を保てなく
なっていました。
丁度その時、中野先生から「どうして今回は展覧会に出さないんだ?」と聞かれました。
「次回頑張ります!」と答えた私に、
「今回頑張れない者が、どうして次回頑張れる?一つ出来る者は二つも三つも出来るものだ。」と、
痛烈パンチが戻ってきたのです。
正しくその通りだと思いました。
小さな頃から私は甘く、根性のない、弱い人間でしたので、
「言い当てられて参ったな。」という感じがしました。
そしてその時、理屈をつけて、自分に言い訳して、ダラダラやるのはやめよう、
どうせ一つのことすら満足に出来ないんだから、ここは一旦、スパッとお休みを戴こう、
そう決めたのでした。
今回、「中野北溟の世界」を拝見した時、
感動のあまり、人目もはばからず号泣しました。
原子先生の素晴らしい詩が、中野先生の書表現によって、
更に豊かで潤いに満ちた世界として広がっていたのです。
もうそこには文字はありませんでした。
これが「創造する」ということなのか、と全身が震えました。
この7年、先生と私の間で変わらない問答が続きました。
「いつになったら始めるんだい?もうやめるのかい?」と美しい笑顔で問う先生に、
私はいつも「もう少し。」と答えていました。
いつもまだ、心の準備、情熱が足りないように感じていました。
でも、先生の書の道の集大成とも言える展覧会を拝見したのがきっかけで、
ようやく、本当にようやく「書きたい、表現してみたい」という情熱が7年ぶりに湧いてきました。
墨界の奥義に触れたくて、百彩を知るため色彩の世界を歩き回った7年は、
私にとって大切な時間でした。
色彩の世界が私に、受け取る質を広げ、百彩という豊かさをもたらしてくれました。
探していた百彩は先生の墨の中にあったのです。
そして、その百彩は自分の中にもなければ見い出せないものだったのです。
中野北溟先生の墨の中にある百彩に触れた喜びが
今もずっと心に残っています。
 
やっと、百彩が分かりました。
次は墨の番です。


展覧会の中で一番好きだった詩です。


「天空受胎」 原子修

原郷創造による恋しいものよ

たかくホルンの声で啼くと

北の荒波を蹴って

大白鳥は舞いあがった


太陽よ

あなたを慕うわたしは美しいですか

火のたてがみを逆立てて

太陽が叫んだ

そなたの胸に燃えさかる情熱こそは

わたしの魂から散りこぼれた光の成分


つばさから海水を涙のように

ながして大白鳥はささやいた

太陽よ

あなたに言い寄る私の声は美しいですか

黄金の眉をしかめて

太陽が叫んだ

そなたの虹いろの声こそは

わたしの内なる愛の声の霊魂


尾羽が太陽の火にふれて煙を

あげるのもかまわず

大白鳥はささやいた

太陽よ

あなたに抱きしめられたいわたしの本能は美しいですか

純金の目をうるませて

太陽が叫んだ

おなじ狼から生まれたそなたは

わたしの肉親ではないか


優美な首が焼けるのもいとわず

大白鳥はささやいた

太陽よ

あなたの子を孕みたいわたしの欲望は美しいですか

突然

金色にかがやく両の腕に大白鳥を抱きしめ太陽が雄叫びをあげた

愛しいものよ

そなたの蜜の郷にわたしを入らしめたまえ


太陽の灼熱の光の柱が

大白鳥の身体の深奥に差しこみ

太陽の一瞬の爆発音が

大白鳥の胎に夥しい命の芽をよびさまし

ついに

極熱の抱擁に耐えかねた大白鳥は

太陽の灼熱の腕をふりほどき

極寒の海へと落ちた

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