悲劇!大げさ?

昨年末の初ブログから早三か月以上が過ぎてしまった。
なんてなまけものの私。
続きの高千穂話が進まない….。
早く高千穂話をお伝えしなければ、年明け仕事で行ったドイツ話も高島さんという生徒さんお手製のポーセリンアートお雛様話もすっかり風化状態に。
せっかくLittleさんも高千穂話待っていてくれてるのに….。
(もう待ってないか...。)よし書くぞ


ということで意を決して(これが大げさなんですね)
高千穂話を2時間かけて書き上げ、すっかり満足気。ところがそんな気分も束の間。
どこを探してもupされていない!!悲劇!
ブログに不慣れな私はしばらく呆然。「ブログなんて嫌いだもん….。」と一応悪態をついてみたけど、仕方がない。明くる日スタッフの恵理子ちゃんに「どうしてどうしてどうして?」と聞いたところでなくなった文章が戻ってくるわけもなく….。
困ったときはHP制作者佐藤さん。ところが、「そればっかりは僕にも….。」と、アミカの王子さまなのに、今回ばかりは白馬を降りちゃった。
そりゃぁそうだよね。

そう、かなり過ぎ、ようやく立ち直り(また大げさ)
高千穂話の続きを。。

さてさて、皆さんは神様を信じますか?宗教の勧誘ではありませんよ。
日本人は無宗教だ、とよく言われますが、宗教を持っていない事と、神様を信じていないということは「=」ではないと私は思っています。
アメリカ人のように「Oh my God!!」なんて叫ぶ習慣はないけれど、日本人の心には古来より「八百万の神」を敬う尊い感覚がしっかり根付いていると思います。

高千穂は「神の坐す里」と呼ばれ、天孫降臨の舞台として名高い土地です。どう名高いかというと、実は古事記や日本書紀に初めて神様が降りられた土地として、高千穂の地名が登場しているのです。
読んだことはなくても古事記と日本書紀は皆さんご存知だと思います。

「天の八重たな雲を押し分けて、いつのちわきちわきて、天の浮橋にうきまじり、そりたたして、竺紫の日向の高千穂のくじふるたけに天降(あまくだり)りましき。」
(「古事記」次田真幸訳より)
(余談ですが、宮崎県と言えば東国原知事でおなじみですが、宮崎県の物産パッケージに神様ファッションの知事のイラストが付いていますので、見てみてくださいね。結構似合っていて笑えます。)

天孫降臨の舞台となったくらいですから、高千穂には数多くの神社があります。有名な高千穂神社は「高千穂八十八社の総社」となっていますから、少なくとも八十八社はあるわけですね。その中でも今回私は白洲正子(しらすまさこ)さんが巡った同じルートを辿りました。高千穂神社、天岩戸(あまのいわと)神社、天安河原の遺跡、?觸(くしふる)神社、天真名井(あまのまない)、二上(ふたがみ)神社。

高千穂神社では毎晩行われている夜神楽を楽しむことができます。神楽のお面や舞が生き生きとしていて、構成は短いものの、3番拝見しましたが、全く飽きず夢中になりました。本来は一晩中踊り続けるそうですから、凄い体力、気力です。
http://www.town-takachiho.jp/~syoukan/kagura-top.htm

天岩戸神社は天照大神(あまてらすおおみかみ)が怒ってお隠れになった岩戸があり、社殿の裏手拝殿より遠く前方に眺めることが出来ます。
「あの辺りかな〜」とイメージしながら、拝んできましたが、神秘的な感じは残念ながら受けませんでした。期待しすぎたのかもしれません。
天岩戸神社を少し下った所に天安河原の遺跡がありますが、ここは天照大神がお隠れになったことで世の中が真っ暗闇になり、それに困った八百万の神々が天照大神が隠れた天岩戸を開ける作戦会議をしたところだそうです。

正直ここは身震いするほど薄気味の悪いところでした。いつからか訪れた観光客が石積みをすると願いが叶うということで石積みを始め、その石群が視界が渡らなくなるその先まで広がっていました。八百万の神々が集まった場所でもあったかも知れませんが、今は人間の思いが石に込められ、有象無象が集積したところ、といった印象でした。

槵觸(くしふる)神社も「久士布流多気(クシフルタケ)」として古事記に登場します。ここは大木の杉木立や榊の立派な木々が並び、神社らしい幽玄とした佇まいをしていました。この近くに天真名井(あまのまない)という湧水の貯まり池があります。
これは樹齢1300年の欅の根元からコンコンと湧き出ていて、その湧水は鏡のように透明で美しく、湧き出でる音に耳を傾けることでこの世の時間を忘れてしまいます。この天真名井は、天孫降臨した際に地上に水がなかったため、天村雲命(あめのむらくものみこと)が再び天上にあがられて、天上の水種を移したもの、という言い伝えがあるそうです。高千穂中の水が枯れてもこの天真名井の水は枯れないとのことですから不思議な話です。
是非立ち寄って頂きたい名所です。

最後に訪れたのは二上(ふたがみ)神社。ここは白洲正子さんの文に「これこそ正真正銘の神体山という感じがする。」とありますが、神社の佇まいといい、周囲の空気といい、今回一番神秘的でエネルギーを感じた神社でした。
人里離れ、他の神社より訪れにくい場所にあるのですが、ただそれだけでその神秘性を感じ取った訳ではないように思います。
神々しく、静謐で、空気に凛とした緊張感がありました。高千穂にご興味のおありの方は是非レンタカーを借りてもしくはタクシーで行かれてみてください。

訪れてからしばらく経っていますが、この高千穂神社巡りから得た新鮮な瑞々しい感覚は現在もそのまま心にとどまっています。
ついつい雑然と忙しく毎日を過ごしがちですが、神社を訪れてその神々しさに触れると、お腹の底から深呼吸して、
「よし、丁寧に時間を過ごすぞ」と再び地に足を着けることを思い出します。その感覚は日頃、生活雑器を扱う「手」が年末お節作りのために、桐の箱から漆塗りのお重やお椀を取り出す時の緊張感とちょっと似ています。

しばらく私の神社巡りは続きそうです。
さて、次はどこのお社に伺えますでしょう。楽しみです。
「是非ここに!」というお薦めの神社がありましたらどうぞお知らせ下さいませ。

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